淵野辺から世界へ!

20代。140字以上。

己の中の他人

年末年始はよく人が遊びにに来てくれた。小平から、台北から、ポートランドから、ロードアイランドから。

彼らがうちでグデってするあわい。客人たちはダイニングで談笑。私はそこに面したキッチンカウンターにもたれ、酒を飲みながら酒なりツマミなり温かいお茶なりを出す。ポートランドからの夫妻は、1ヶ月ほど日本でホテル暮らしをしたからか、私がいれ続けたインスタントのお茶を大層気に入ってくれていた。いまそこにいる人に対して、温かいなにかを提供したい気持ちが、酔えば酔うほど強くなる。

 

思えば、そこにいる人に対して温かいものをあたえ続ける、という習慣は母から譲り受けたものである。母は、私が幼い頃から常に家族にお茶をいれていた。客人にももちろん、祖母たち(彼女にとっての義家族)、親族たちにももちろん。

 

随分前から、自分が誰かにお茶なりスープを準備するたびに、あるいは、客人にりんごをむくたびに、それらは母が他人に対して行っていたことだと気づいていた。はじめは、わたしは学生という身分の人に対して食事をふるまう、食事代を払うことに嬉しさを感じるものだと思っていたが、今回、他人一般に対して、腹を満たさせることに安心・快感を覚えるのだと強く認識した。あんなに大嫌いな母が、私自身に染み付いた行動から復活する。苦しい。早く死ねばいいのに。

 

こんな記事( 母を赦そうと思う )を書いたのは2019年4月だが、私と母の関係は、終わっている。いまだに赦していない。