淵野辺から世界へ!

20代。140字以上。

家のはなし

おととしから持ち越している有給休暇を使い切るため、今年の年越しは長めに休みを取っている。24連休。圧倒的開放感。


旅行にも行かず、実家にも帰らずやっていることはもっぱら引っ越したばかりの家の整理。2年前に買った古い家のリノベが終わり、いよいよ住み始めるのだ。

 


リノベにあたっては、数年前から何度も読み返している「あるノルウェーの大工の日記」に憧れて、大工さんとコミュニケーションしながら家を作るプロセスを選んだ。

 

知り合いの不動産屋から、LINEで頻繁に連絡がとれるような若い大工を紹介してもらったのは2年前のいつか。平屋をいちどスケルトンにしてから、どの柱を抜くとか梁を残すとかを考えるプロセスは楽しかった。工期や時期を向こうが都合のいいときにちょっとずつ進めるというのんびりしたものだから、その代わりじゃないけど、こちらから言いたいことを全部言えた。去年の夏に工事がやっとはじまってからは、頻繁に現場に足を運び、その都度あたらしいプランの話し合いをした。

 

これを期に、家の役割についてずいぶん考えた。

 

帰る場所としての家。これは多分ずっと変わらない。
U2が確執のあった父について歌ったSometimes You Can't Make It On Your Own に "a house doesn't make a home"という一節がある。ハコだけ作ってもダメなんだよ、ということで、せっかくの持ち家だから長く愛でていきたい。賃貸との一番の違いは思い出の蓄積。これに尽きる気がする。


シェルターとしての家。
「これから100年くらい、パンデミックは増え、自然災害も活発化する」というシナリオ(内閣府デジタル・防災技術ワーキンググループ未来構想チームの提言 2021 )を鑑みると、より原始的な家の機能、すなわち「シェルターとしての家」の重要性が上がると感じている。他人との接点を最小限にすることが求められるパンデミック社会において、安心できる場所の価値は高まるだろう。


役割が増えること、変化すること。
工期期間中に、30m2の1Kアパートに引っ越していた。食事後のテーブルはワークデスクに代わり、Web会議でウチはソトになった。家の役割がいちにちの中で変わることについて、職住融合という言葉もあるけどまだしっくりこない。職は住というか生活の中にあるから対等ヅラしないでほしい。ウチとソト、集中と安らぎ、騒と静、食事と排泄、その時々で柔軟に役割を変える空間は、布団と押入れのある和の家の発想か。

 

去年なにかで読んだ「どんなに貧乏な団地にも客間があった。あれはなんだったのか」みたいなやつをもう一度読みたい。