淵野辺から世界へ!

気づいたら山形に

今ここに居ない誰か

「飲みに行こう」よりも「ピクニックしない?」とか「朝ごはん食べに行こう」なんてほうがときめく。

 

屋内より開けたところだし、夜より朝のほうが好き。お酒がなくては話せないような人の誘いはそもそも気が乗らないし「飲んだこと」が思い出になることはない。

 

もしかしたら自分は、思い出を作りたいだけかもしれない。(だから、もし世の中から飲み会がなくなって、ピクニックや舞踏会が頻繁に開かれる文化だったら僕はきっと違う何かを求めるのだろう)

 

 

面白い記事を送り合うギークな友人や、自分たちはどうあるべきかを送り合うパッション系の友人、ミームを送りつける友人がいる。それについて一緒に話すわけではなく、ただ、これ好きそうだなっていうのを一方的に送りつけ合うだけ。

 

中でも面白いのは、可愛いを送り合う人。
「本日の可愛いです。ご査収ください。」なんて言って、可愛い動物の写真や動画を送り合う。

おかげで、SNSの動物画像を見る度に、これは送る基準を満たしているなとか、これはいまいちだな、とか、可愛いけどあの人の好みじゃなさそうだな、とか、あの人は好きじゃないだろうけど俺は可愛いと思う、なんてことを考える。まあ何を送っても彼女は「可愛いけど、うちの犬が一番かわいい」って思うに違いないのだけれど。

 

何かを触れたときに、誰かを浮かべるのはとても豊かな人生だと思う。

 

いま思ったけどこれ、思い浮かべる相手が故人であってもいいから一生続けられるね。