淵野辺から世界へ!

20代。140字以上。

よく考えたらわかることですね、すみません。

数日前に、同僚にアドバイスをあげたら「有難うございます。よく考えたらわかることですね、すみません」と返されたことがずっとひっかかっていた。
僕は気づいた人が手伝えばいいと思うから手伝っただけで、その人の能力云々なんて考えていなかったから。


「同僚が叱られているのを見ると、周りの人の生産性が落ちる」みたいなデータがあったけど、あれは「キレてる人を見るとげんなりする/萎縮する」というわけではなく単に「誰かが下げられているのを見ると萎える」ということなのかも知れないね(だから自分で自分を下げる人もキレる人と同じくらい全体に悪影響)。

 

 

とっさに返す言葉って大事だなって。

想像力を刺激するもの

ミニマリストの発想として、複数の役割を持つもの至上というのがあると思う。

石鹸で代用できるからシャンプーは要らない、冷たいものしか飲めないグラスよりマグのほうが重宝、などといった感じ。

 

大学時代、(そもそもお金がなかったし)モノより体験にお金を遣うべきと思っていた僕にとってそれはかなり真だった。おかげでたくさんのことを経験できたし、例えば旅行中なんかはその基準で選んだモノに随分助けてもらった。スカーフは最高だ。

 

今春、社会人になった。

お金に少しだけ余裕ができて、体験に使う時間が減った。山形県の沿岸部に暮らしているので、冬が来れば家の中に居ることが増えるであろうことは想像に難くない。晴れ間が見えない、内にこもっていれば気分が落ち込むだろう。北国の自殺率が高いのはきっとそういうことなんだろう(スウェーデンの自殺)。

 

 

そういうわけで、最近は家の中を充実させることを考えるようになった。どんなモノが自分の人生を豊かにするのか考えるようになった。今日もよく生きたと充実感に包まれているときに、逆に疲れきってて家に帰ったときに、いつもより少し遅く起きた土曜の朝に、自分の居場所に何があれば良いのかを考えるようになった。

 

そうして気づいたのは「それだけの為に存在するもの」の良さ。

ワイングラス、テーブルクロス、額縁。ワインはマグカップでも飲めるし、テーブルは裸でもいいし、そもそも額縁どころか絵もなくもいい。

 

でも、あったほうがいい。

 

お気に入りのグラスから、何を飲むか考える。

いつも同じ絵を見て、いつも違うことを考える。

 

想像力。

 

都市の居心地の悪さについて

飛行機に乗るのが好きだった。

空を飛ぶという体験はもちろん、隣の席の人との出会いも面白かった。その場だけの関係で終わらず、インターンを紹介してもらったことも、降機後に一緒に旅行をしたこともあった。

だけど最近はその時間が少しつらくて、搭乗前にノイズキャンセリングイヤホンを用意するようになった。何も感じなくて済むように。

 

 

6月から、毎週2、3往復飛行機を使っている。

つらいのは、CAの引きつった笑顔と過剰なサービスと、それに慣れきってる乗客のやりとりを見ること。お飲み物は何になさいますかって微笑まれても、その笑顔の意味はなんだって思うし、それに対する客たちのなめた態度を見るのも苦痛だ。

 

もちろん、CAに非があるわけではない。そして多分、客たちも本当は嫌な奴らではない。原因は恐らく人間性を極度に排除し、記号化している近代都市システムだ。

銀行でカウンター越しに怒鳴る人。アパレル店員の甲高いご覧くださいませ〜。ダイヤ乱れに異常に厳しい雰囲気。これらは全て、相手を、時に自分を記号化しているから。その職業に対してはこういうことをしても良い/そのポジションはこうあるべきだといった感じに。

 

相対する人に、感情も人間性も体調も全てフラットであることを要求することで成り立っている環境。効率化されまくった都市のシステムを維持するためにはそうするのが一番いいのはわかるけど、人間も他の生き物と同じで色んなものに波があるし、自分はその波に逆らわない事の心地良さを捨てられないから不自然に感じるし、不快に思うのだろう。

 

そしてそんな世の中だからこそ、人間的に扱われるサービスが異常に嬉しいんだろう。

スタバのカップにネコの落書きがあるだけでインスタのコンテンツになるのはまさにそういうことだ。アイドルの握手会も、コンビニくじも、スペシャリティコーヒーも、らーめん二郎も、結果にブレがあるからウケているんだろう。人によって、タイミングによって結果が違うからウケるんだろう。

情報源を見直すこと - どういうコメントを返せるか、また呼んでもらえるか

社内でのポジション替えがあり、50代や70代の方たちと一緒になることが多くなった。幸い「俺が若かったときは」とかいう人も少なく、ただただ勉強になっている。やっぱり、経験をしてきている人たちは面白い。少し堅いけど。

 

それで、彼らの考えをもっと理解したいし、多少なりとも何かを返せるようになれるようになりたいと思って接するメディアを増やした。

 

文藝春秋、日経/朝日/FTの1-3面は比較的読みやすく、偉いオジサンたちが好きなことを好きなだけ言っている感じで面白い。

 

家にテレビがないから、会社にある新聞は本当に助かる。

 

いつまで続くかわからないけど、今のところいい感じ。

 

 

帰ってきた!

ゲートを抜け、肌寒さを感じながら、BARTに乗る。

 

車窓からは3年前、不安と期待を胸に職探しをした時と同じ風景が広がっていた。

 

MUNIに乗り継ぎ、坂を登り、街を一望する。

 

「帰ってきたぞ!俺はビジネスマンだ!仕事のために此処に来たんだ!」

 

まだ成果を上げていないし、社会への貢献も小さいけれど、此処に来る度に自分の成長を感じられればいい。そうやって生きていけばいい。

 

ああテンションが上がる。

 

上を向いて歩こう

 

サンフランシスコ。

 

 

幼稚舎。

会話の中で「彼は幼稚舎の先輩」っていう言葉が出てきた。
小学校の先輩っていう概念には初めて出会ったので印象に残った。

 

7歳(何なら生まれた時)から独立自尊とか自我作古とか言い聞かされてたら、そりゃあ愛校心は育まれるよなあって思った。

 

*幼稚舎...慶応大学付属の小学校

好きなことで、生きていく

大学を卒業し、社会人になって3週間たって感じていること。

 

やりたいことと、やらなきゃいけないことが一致しているとこんなに毎日楽しいのかと驚いている。3年目の友人にこの話をしたら「新卒のこの時期に楽しいとか言ってるやつ初めて見た」と言われる始末。

 

もちろん疲れることもあるけど、というか本当に毎日へとへとだけど、やりたかったことをしてお金がもらえるなんて会社ってやべえなと思うのである。