淵野辺から世界へ!

20代。140字以上。

都市の居心地の悪さについて

飛行機に乗るのが好きだった。

空を飛ぶという体験はもちろん、隣の席の人との出会いも面白かった。その場だけの関係で終わらず、インターンを紹介してもらったことも、降機後に一緒に旅行をしたこともあった。

だけど最近はその時間が少しつらくて、搭乗前にノイズキャンセリングイヤホンを用意するようになった。何も感じなくて済むように。

 

 

6月から、毎週2、3往復飛行機を使っている。

つらいのは、CAの引きつった笑顔と過剰なサービスと、それに慣れきってる乗客のやりとりを見ること。お飲み物は何になさいますかって微笑まれても、その笑顔の意味はなんだって思うし、それに対する客たちのなめた態度を見るのも苦痛だ。

 

もちろん、CAに非があるわけではない。そして多分、客たちも本当は嫌な奴らではない。原因は恐らく人間性を極度に排除し、記号化している近代都市システムだ。

銀行でカウンター越しに怒鳴る人。アパレル店員の甲高いご覧くださいませ〜。ダイヤ乱れに異常に厳しい雰囲気。これらは全て、相手を、時に自分を記号化しているから。その職業に対してはこういうことをしても良い/そのポジションはこうあるべきだといった感じに。

 

相対する人に、感情も人間性も体調も全てフラットであることを要求することで成り立っている環境。効率化されまくった都市のシステムを維持するためにはそうするのが一番いいのはわかるけど、人間も他の生き物と同じで色んなものに波があるし、自分はその波に逆らわない事の心地良さを捨てられないから不自然に感じるし、不快に思うのだろう。

 

そしてそんな世の中だからこそ、人間的に扱われるサービスが異常に嬉しいんだろう。

スタバのカップにネコの落書きがあるだけでインスタのコンテンツになるのはまさにそういうことだ。アイドルの握手会も、コンビニくじも、スペシャリティコーヒーも、らーめん二郎も、結果にブレがあるからウケているんだろう。人によって、タイミングによって結果が違うからウケるんだろう。