アメリカに行ったばかりの頃、周りの外国人女性がみんな美人に見えた。
逆に、ガーナに来たばかりの頃、周りのガーナ人女性の外見は誰も魅力的に見えなかった。
もちろん今は違う。
今は、アメリカにもガーナにも、自分にとっては綺麗な人もそうじゃない人もいるのがわかっている。というか、今まで日本人に対してだけ持っていた女性の美の基準が、白人・黒人相手にもできた。
ガーナでは、衛生の観念が非常に低い。
例えば肉屋。首都アクラを除けば、屠殺場から客先のキッチンにいたるまでで、一体どの程度の肉が冷蔵されているだろうか。
アクラでも、うちの近所(Gbawe)の肉屋では細切れになった牛肉が軒先でビニール袋内に保存され、そこから客が欲しい量を店員が素手で掴み取る。当然、身は黒かったり、ハエがたかってたりする。だけどそんなの誰も気にしない。
「火を通せばイケる」が唯一の衛生ルールで「運が悪かったらお腹が痛くなる」が常識だ。そして、そんないい加減な衛生意識なのに自分は健腸を維持している。「欧米ほど厳しくなくても大丈夫じゃん」という新たな感覚を持て余している。
異質と交流する絶対量が増えるほど基準が、感覚が、変わっていくのが面白い。
雑多を知って、感覚を研ぎ澄ましていく感覚。
ごちゃごちゃしていたものが整えられていく感じ。
小さな違いをちゃんとわかるようになった感じ。
大きな違いが小さな違いしか生まないとわかる感じ。