ぼくは、とんがったものが苦手だ。
もちろん、その種の全てがダメなわけではない。
靴紐やごぼうなど、殺人的なニュアンスのないものなら大丈夫だ。
だけど、ストローとか爪楊枝とかの刺さったらヤバい感じのするものはダメだ。
あいつらは目に刺さったら超痛いし最悪の場合死ぬかもしれない。
あんな危険なやつらはどうにかした方がいいと常々思っている。
コンビニでもらう割り箸の袋にはどうして爪楊枝が入っているのだろう。
もし箸袋をあける時にあいつが刺さったら、どんなに痛いだろうか。
スタバのストローはなぜ真っすぐなのか。
ビーチパラソルの下でブルーハワイを飲むときのあのくるくる曲がったストローにすればいいのに。
もしスタバがくるくるストローの提供を始めたら、ビジネス街の風景はかなり愉快なものになるのに。
街中で特にストレスフルなのは、閉じた傘を水平にして持つ人たちだ。
彼らには後ろを歩く人のことをもっと気にしてほしい。
傘の持ち手がフック状なのは、腕にかけて持ち歩くためだとどうして気付かないのだろう。
ぼくのような症状を尖端恐怖症といい、極端な人は机の角すら怖いらしい。
幸い、ぼくのはそんなにひどくないが、できることならさっさと克服したいと思い続けている。
以前、ショック療法を試したことがある。
あれは去年の冬、大学の体育の授業でフェンシングに挑んだときのこと。
普段はソフトテニスとか、ピラティスとか、そういう柔らかい感じの競技しか取らないぼくが、天敵であるはずのフェンシングに挑戦した。
周りの人の3倍くらいの時間をかけて防具の安全をチェックし、網目状のマスクは絶対に剣を通さないと力説してもらった上で、試合に入る。
刹那、ぼくは相手に一撃も食らうことなく、白旗をあげてしまった。相手と対峙した瞬間に、串刺しにされて、焼かれる自分の姿が浮かんでしまったのだ。
世の中には色々な痛いことがあるが、串刺しだけは本当に嫌だ(その上焼かれるなんてもう…)。
ところで、『串』という字はなんともひどいフォルムである。
何かが2つ棒に刺されている姿はとっても痛そうで、殺人的なニュアンスとはまさにこのことだ。ここは思い切って『くし』の表記で統一した方がいいだろう。ひらがなの方が無害な雰囲気がして、よっぽど好印象だ。
結局、この文章を書いている今も、とんがったものへの苦手意識は消えておらず、傘やストローとの関係もぎくしゃくしたままだ。
向こうが歩み寄ってくれれば、和解する用意はあるのだが。