淵野辺から世界へ!

20代。140字以上。

アドリア海のはなし

祖母の認知症が進んでいる。


半年前に家の中で転倒して骨折し、入院したあたりからおかしくなり、いまはもう、彼女は僕を忘れている。

 

年をとると環境の変化に順応できなくなる。

長い間住んだ家を離れるのは大きな変化で、入院日数に比例し、1日ごとに記憶障害が深まっていく。数週間の入院生活を強いられた結果、1人ではもはや日常生活が送れなくなり、老人ホームに入居することになった。大好きな畑仕事をすることはおろか、1人で出歩くことももう一生ない。

 

こんなこと、話としてはよくわかるけど、肉親が自分に対して、知らない誰かと接する態度をしてくる体験は強烈だ。


祖母はたくさんを知っている。

山梨の小さな村の女性で大学に行ったのは、村で彼女だけだった。関東大震災や第二次大戦、高度成長やバブル崩壊、戦争も平和も知っている。変化の時代に子どもを育て、孫を愛で、曾孫を抱いた。

 

祖母は旅行の話をよくしてくれた。
北欧のフィヨルドの話、アドリア海の話、ハワイやエジプトの話もしてくれた。自分の旅行好きの原点は彼女から生まれたように思える。

 

 

 

 

秘書の仕事とネットストーキング

会社に入って1年経った。

考えてもいなかったことがたくさん起こった1年だけど、中でも一番の驚きは自分が今、秘書をしていること。毎日社長について修行している。

ひしょっていう言葉は不思議で、涼しげな感じもすれば(避暑)、謎めいたところもあり(秘所)、丕緒(国家の大業を成す)なんて言葉もあるようだ。


この前の指令は、1時間半後に急遽会うことになった人のこと調べてまとめること。
移動中にツイッターのログを2年分くらい遡り、キーワードを見つける。
それらから、なるべく価値観とか考え方がわかる記事にあたりをつけて、出身地や趣味の話などのアイスブレークに使えそうなことを集める。忙しすぎて社内の人間とは朝食を食べながら早朝から会議をしているということもわかった。
多分こういうことに関心があって、仲良くなるには飲みに誘うより、朝ごはんを一緒に食べるのがいいと思います、みたいなまとめを渡す。

長い学生生活でつちかったネットストーキングスキルがいきたけど、なんとも言えない気持ちにはなる。


それはそうと、秘書検定の会場はきっと、英検や会計士試験のそこより、良い香りがしそうだ。
いつか受けてみよう。

26歳

今日、26歳になった。

 

ハイロウズは14歳を歌い、アデルは19歳をアルバムのタイトルにした。
25歳まではJALANAも当日割引をしてくれるけど、26歳には何もない。
なんにもない。

そう。26歳は何でもない年齢である。
若さを言い訳にすることも、成熟を武器にすることもできない、何でもない年齢である。

 

さっき、フランスに着いた。
どうせ何か仕事が入るだろうと思って、GWの予定を入れていなかったのだが、まさか海外出張とは。

昨日の昼過ぎ、ソファでくつろいでいた所にボスから電話がかかってきて、急遽アフリカにいくことになった。一人で。

大急ぎでパッキングして、ホテルとフライトを抑えて、家を出た。
それから24時間後の今、乗り継ぎのためにシャルル・ド・ゴール空港にいる。

 

こんなに面白い誕生日なんだから、来たる26歳が何でもないわけがない。

犬の散歩がしたい

あれは確か高校生の頃だったと思う。

「結婚式か葬式とかに行きたい。普段目にしないような、他人の感情の起伏を見たい」と思っていた時期があった。
自分は人と比べて感情が表に出ないから、全然出ないから、そういったエクストリームな感情を見て、人間の動物らしさを感じたかったのだ(たぶん)。


この前、数時間だけ6人の未就学児の子守をする機会があった。
こどもたちは常に誰かが泣いていて、喧嘩していて、大笑いしていて、100%の自分を出し切っている感じがしてすごくよかった。悲しかったら泣くし、楽しかったら笑うのだ。

 

今日も大人10人の食事会に3歳くらいの女性がひとり居て、僕は彼女の話を聴くのにずっと夢中だった。

のんたんが好き、わたしはアイドルなの、幼稚園はたのしい、さいきんパパが好き。その人は舌足らずで、僕は半分以上聞き取れなかったけど、自分のことをあんなに楽しそうに話す人は久しぶりで、とてもいい時間だった。
彼女のお父さんに話を聴いてみると、最近彼女に恥の概念が芽生えてきているらしく、
オネショしたとき、バツの悪い表情をするようになったのだとか。人間っぽい。

 

犬が好きだ。

猫もパンダもペンギンもキリンも好きだけど、中でも犬が好きだ。
一緒に散歩して、嬉しいときにしっぽが高速で振られたり、口あけっぱなし、よだれダラダラな感じに触れたい。
一人暮らしだから犬は飼えないけど、なんとかして月一くらいで犬の散歩ができないだろうか。

 

新潟(1)

同僚に誘われて、新潟に行ってきた。
土曜の昼に集合して日曜の昼に解散するまで、2人でずっと話していた。

彼は社内に数人しかいない91年生まれの1人で、インドで一番の大学を出て日本に来た。何かとフィーリングがあう友人でもある。

米軍のシリア侵攻の話から、最近読んだ本、WW2のチャーチルの話、スノーピークの創業ストーリー、数え切れないジョーク、かなりリラックスできたいい時間だった。

 

気づけば今年もあと3分の2。

今年こそは台灣にいって毎朝、マンゴーでお腹を満たしたい。

7年くらい言い続けているので、そろそろ実現したい。

(または千疋屋でマンゴー食べ放題とかやってほしい)

 

 

よく考えたらわかることですね、すみません。

数日前に、同僚にアドバイスをあげたら「有難うございます。よく考えたらわかることですね、すみません」と返されたことがずっとひっかかっていた。
僕は気づいた人が手伝えばいいと思うから手伝っただけで、その人の能力云々なんて考えていなかったから。


「同僚が叱られているのを見ると、周りの人の生産性が落ちる」みたいなデータがあったけど、あれは「キレてる人を見るとげんなりする/萎縮する」というわけではなく単に「誰かが下げられているのを見ると萎える」ということなのかも知れないね(だから自分で自分を下げる人もキレる人と同じくらい全体に悪影響)。

 

 

とっさに返す言葉って大事だなって。

想像力を刺激するもの

ミニマリストの発想として、複数の役割を持つもの至上というのがあると思う。

石鹸で代用できるからシャンプーは要らない、冷たいものしか飲めないグラスよりマグのほうが重宝、などといった感じ。

 

大学時代、(そもそもお金がなかったし)モノより体験にお金を遣うべきと思っていた僕にとってそれはかなり真だった。おかげでたくさんのことを経験できたし、例えば旅行中なんかはその基準で選んだモノに随分助けてもらった。スカーフは最高だ。

 

今春、社会人になった。

お金に少しだけ余裕ができて、体験に使う時間が減った。山形県の沿岸部に暮らしているので、冬が来れば家の中に居ることが増えるであろうことは想像に難くない。晴れ間が見えない、内にこもっていれば気分が落ち込むだろう。北国の自殺率が高いのはきっとそういうことなんだろう(スウェーデンの自殺)。

 

 

そういうわけで、最近は家の中を充実させることを考えるようになった。どんなモノが自分の人生を豊かにするのか考えるようになった。今日もよく生きたと充実感に包まれているときに、逆に疲れきってて家に帰ったときに、いつもより少し遅く起きた土曜の朝に、自分の居場所に何があれば良いのかを考えるようになった。

 

そうして気づいたのは「それだけの為に存在するもの」の良さ。

ワイングラス、テーブルクロス、額縁。ワインはマグカップでも飲めるし、テーブルは裸でもいいし、そもそも額縁どころか絵もなくもいい。

 

でも、あったほうがいい。

 

お気に入りのグラスから、何を飲むか考える。

いつも同じ絵を見て、いつも違うことを考える。

 

想像力。