淵野辺から世界へ!

気づいたら山形に

母を赦そうと思う

物心ついた頃から、母はカルトの幹部で、スピリチュアルと山岳信仰をハイブリッドさせた何かによって幸せになれると信じていた。

本当の自分、前世、生まれてきた使命、魂のちから、といったものがキーワードのようで、幼い自分も瞑想によって前世を思い出せるとか言われてた気がする。

 

ある日突然「お前がいると家の波動が悪くなり、家族が不幸になるから出て行け」という言葉をきっかけに、一人暮らしが始まったこともあった。「うちの母はちょっと変だけど、まあそのうち収まるだろう。更年期障害とか、あるいは自分探しだろう」くらいに考えていた自分が完全に心を閉ざし「親も他人である」と確信したのはこの時だ。

以来、あいつさっさと死んでくれないかな〜 とすら思ってきた。こうして文章にしてみるとなかなかパンチのある表現である。誰かに対してここまで強い感情を持つことは稀だから、これはきっと「母=優しい、自分の味方」といった高いハードルがあったが故の、反動な気はしている。

この母子関係は当然、自分の人格に大きく影響を与えていて、例えば自分は感情が切り離されていると感じるときがある。人にそれを指摘されることもあるが、これは多分自己防衛の一環として確立された性質だろう(何か悲しいイベントがあっても、泣いている人を見ないと泣けない / 悲しいイベントがなくても、泣いている人を見れば泣ける / 自分はいま悲しいんだと思い込めばいつでも泣ける, などのバグもある)

もちろん、悪いことだけではなかった。母のおかげで「家族」というステータスですらこうなのだから、信頼しても裏切られることがあること、簡単に人を信頼してはいけないこと、裏切られると傷つくこと、だからこそ信頼できる友人は大事にしたほうが良いこと、など人との関わり方について学んだ。


しかし、誰かの死や不幸を願うことは疲れる。それに、あの強烈だった出来事も、10年も経つと、恨みや驚きはほぼ風化している。最近、そろそろ赦してみようか、と思うようになった。


きっかけは、クライストチャーチで奥さんを失った男性のインタビュー。
彼は「犯人に恨みはない、犯人も救われることを祈る」と言っていた。

 

www.indiatimes.com

 

憎まない。恨まない。赦しを与える。
ウサインボルトの記録を破ったり、エベレストに無装備でアタックしたり、10億人が使うSNSを作ったり、シンドラーがしたようなことではなく、誰にでもできること。これをやってみようと思う。

 

まだ、彼女の顔を見て話すことはできないし、もちろん握手も抱擁もできないけど、自分の中で、赦すと決めてみる。どうなるかな。

 

 

変わらないものについて考えてみる

昨日、高校の同級生とごはんを食べた。

「仕事が長引きそうだから、21時スタートにしよう」ってやりとりのあと、名古屋駅の時計のところで会うことになった。

少し早く着いて、駅ビルのレストラン一覧の看板を見ていたとき(つまり壁に向かって立っていたとき)、後ろから肩を叩かれて仰天した。多分、変な声も漏れていたと思う。振り向くと彼だった。「立ち姿や振る舞い、所作がまったく変わってなかったから、すぐわかった。」とのこと。

 

 

20代前半くらいの男とばかり付き合っている女性(30代)の話をきいた。「前はたしか、結婚を前提に40代と付き合っていなかったっけ」と聞いてみると「交際が長くなると、男はいくつになってもガキであるってわかってしまった。40過ぎてもこうなら、せめて顔がタイプの子と添い遂げたい」と寂しそうに言っていた。

 

 

高校のとき「この子はなんて面白いんだろう、もっと一緒にいてみたい」と思っていた友達がいた。大学に入って、しばらくぶりに彼女に会ってみたとき、変化のなさに冷めてしまったことがある。その時に気づいたのは「彼女は当時、大学生とばかりつるんでいたから大人びていて、面白かったんだ」ということ。だから自分が「当時の彼女のネタ元、大学生ノリ」をそれなりに経験した結果、面白くなくなってしまった。彼女は変わらないけど、自分が変わってしまった。

 

 

いま、好きな人がたくさんいる。だけど、今、自分が好きなポイントが、年齢によるものなのか、あるいはその人の性質によるものなのか判断ができない。

 

巷には「昔はいい人だったけど、変わってしまった」「久しぶりに会ったらマルチの勧誘をされた」なんて話が溢れている。なんなら、変わってしまうモノのほうが多い気もする。

献血

池江選手のニュースについて誰かが「いま私たちにできるのは、献血である」みたいなことを仰っていた。

 

私は昔、マラリアにかかってしまったため、献血ができない。これまではそれをネタというか、武勇伝のように話していたけど、今はなんとなくバツが悪い。

 

やりたい気持ちはあるけど、自分にはできない。

これまでの人生を健常者男性ヘテロ日本人として、要はこの国のマジョリティ、差別されない者として生きてきた自分にとって初めての「みんなが出来ること、した方がいいこと。だけど自分はできないこと」かもしれない。

 

年相応

20代も終わりに差し掛かると、みんなそれぞれ悩むよう。

結婚、転職、趣味がない、不倫、パパ活、出産、昇進、中間管理職、リーダーシップ、留学、アカデミアに戻る、引退。

 

こういう話を聞いたときに僕がよく言うのは「今の我々ならではの悩みだよね。これが40代だったらまずいし、失うものがない今ならではだよね。子育て始まったらそんな悩み持てなさそうだよね。」みたいな話。

別になにも解決しないけど、そっか年相応か、みんな普遍的に悩んでるのか、って思うとちょっとだけ気が楽になる。

 

さて、みんなの悩みはそんな感じなのに、自分はというと全然違うことに頭を使っていて、私生活に希望(も絶望)もない状態。凪である。これ、いまは好きなことに没頭しているだけだから良いけど、将来ちょっと後悔するかもとも思う。それは自分が、制服デートや深夜のドライブ、修学旅行、みたいな「その年齢でしかできないこと、その年齢だからこそ楽しいこと」に価値を感じているからだと思う。一生は長いけど、野球部の勝利を心から願うチア部の感性は50代では持てないと思うから、20代だからこその悩みや心の動きをしっかり味わいたい。

 

拝とダイヤモンド

インドのタミルナド州のMaduraiにきている。

この街にはインドでも有数の大きさのヒンドゥー教の寺院があり、街はこれを中心に発展しているよう。


寺院の近くには、宝飾店が集まっている。

ふと、以前訪れたイラン有数のモスクがあるMashhadも、街中に宝飾店があったことを思い出した。


このストリートは宝飾店が、こっちはフルーツショップ、花屋、本屋、文房具、キッチンウェア、など、多くの国の都市部では、専門店が集まって商いをしているのは気づいていた。

ただ、大規模宗教施設の周囲に宝飾店街があるのに、気をつけたことはなかった。


街の成り立ちに想いを馳せてみると、多分まず宗教施設があり、そこには権威(=だいたい、お金持ち)がいた。

お金持ちの友達はお金持ちだから、宗教施設にはお金持ちが(も)集まる。お金持ちは宝飾店の顧客だから宝飾店も集まる。

または、メッカ参りのように、ある人にとっては一生に一度の機会で、そこには普段着ではなく晴れ着、着飾っていく人が多い。ハレを彩るのに宝飾は不可欠だから、宝飾店が集まる。さらに、周りの着飾ったひとたちを見て、購買意欲がぐんとあがって、せっかくだから私も、と買ってしまう、という人もいるだろう。

 

旅行中はこんなことばっかり考えている。

 

 

デリー備忘録

Hauz Khasを散策した。何か求めてたインドではなく、あまりワクワクしなかった。


Connaught Placeもイマイチだった。なんでかわからない。


Ugrasen ki baoliは結構よかった。


Khan Marketもとても良い。また来たい。オーガニックの加工品がたくさんあった。


KhanからNew Delhiへは、地下鉄を使ってみた。紙幣が入らなくてチケットが買えなかったときも、チケットが吸い込まれて改札から出られないときも、駅員は話が通じなかったけど、その辺の人が助けてくれた。


超満員電車の中、子連れの夫婦と周りが会話。抱えられた子供に話しかけるおっさんたち、しばらくすると、出口近くにいた親子の降りる駅の話になった。次のターミナル駅で降りないことがわかるとおっさんたち、すし詰めの車内に道を作り、反対サイドまで親子を移動させた。

 


インフラはまだまだだし、スタッフのスキルや対応も良くないけど、市井の人のパッションみたいなので、この国が好きになった。

 


店の人、物乞いの人、スタッフの人ではない人と、コミュニケーションを取りたいと思った。

 

Gregoryのバックパックについて

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大学に入るときに、Gregoryのバックパックを買った。

学校にいくときも、旅行にいくときも、大体いつもこれを背負っていた。

酔っ払って道玄坂の路上で寝てた日も、Butreのビーチでウミガメの産卵に立ち会ったときも、Mardinの禿山で滑落したときも、これを背負っていた。思い出は無限にある。

 

10年以上使ってるとのでGregoryのロゴも切り取ってしまったし、色褪せも半端じゃないが、まだまだ壊れる気がしない。本当にタフである。