色々あって3人の20代女性たちと私で暮らしている。特に困っていることはないし、サプライズもないけれど、ひとつだけ。トイレットペーパーの消費量がすさまじい。
にぎやかでよろしい。
色々あって3人の20代女性たちと私で暮らしている。特に困っていることはないし、サプライズもないけれど、ひとつだけ。トイレットペーパーの消費量がすさまじい。
にぎやかでよろしい。
自分の特性みたいなのが最近になってやっとわかるようになってきた。こんな感じでいくつになっても見出していきたい。
定期的にアップしてるやつ。
インド系の人とよく遊ぶからかバングラ系がいくつか入ってるのが新しい。
暖かくなってきて、あがる系もよく聞く。音が格好いい。
Aminé "4EVA (feat. Pharrell Williams)"
MoStack "The Weekend"
あんまりハマらなかったアーティストとかアルバム
焚き火を囲んでいるとき一瞬考えた属性の話。くだらねえ話。
その日、私の誕生日を祝ってくれたのは、インド、台湾、アメリカ、フランスから日本に来た友人たち。みんな外国人女性。もし、属性が逆で、つまり自分が外国人女性で、来てくれた6人が全員日本人男性だったらキモい絵面と思ってしまうだろうなと思った。自分の中にある差別的な見方考え方。そもそも「反対の属性」という切り取り方で、日本とそれ以外、男女、みたいな発想になってしまうことに浅さ乏しさがある。自分では、そのコミュニティはかなりピュアな友人関係で、居心地がいいと思っているけど、それは内面や関係性はもちろん、社会的な属性がそうさせていることは否めないのだと感じた。
2024年の自分の誕生日は、同じメンバーが集まることはないのだと知っている。終わりが確実に来るのを知っている日々との付き合い方はまだ知らない。
誕生日だった。他に誰もいない田舎の海で、友達と焚き火をした。
柔らかめの時間で、いつも通りきれいな夕日だった。
星が見え始めた頃におしまいにし、みんなで中華に行った。
家に帰ったら、友人たちがバースデーメッセージを送ってくれてた。
高校の友達グループは、15回目くらいの誕生日祝いだった。
いい日だった。
年末年始はよく人が遊びにに来てくれた。小平から、台北から、ポートランドから、ロードアイランドから。
彼らがうちでグデってするあわい。客人たちはダイニングで談笑。私はそこに面したキッチンカウンターにもたれ、酒を飲みながら酒なりツマミなり温かいお茶なりを出す。ポートランドからの夫妻は、1ヶ月ほど日本でホテル暮らしをしたからか、私がいれ続けたインスタントのお茶を大層気に入ってくれていた。いまそこにいる人に対して、温かいなにかを提供したい気持ちが、酔えば酔うほど強くなる。
思えば、そこにいる人に対して温かいものをあたえ続ける、という習慣は母から譲り受けたものである。母は、私が幼い頃から常に家族にお茶をいれていた。客人にももちろん、祖母たち(彼女にとっての義家族)、親族たちにももちろん。
随分前から、自分が誰かにお茶なりスープを準備するたびに、あるいは、客人にりんごをむくたびに、それらは母が他人に対して行っていたことだと気づいていた。はじめは、わたしは学生という身分の人に対して食事をふるまう、食事代を払うことに嬉しさを感じるものだと思っていたが、今回、他人一般に対して、腹を満たさせることに安心・快感を覚えるのだと強く認識した。あんなに大嫌いな母が、私自身に染み付いた行動から復活する。苦しい。早く死ねばいいのに。
こんな記事( 母を赦そうと思う )を書いたのは2019年4月だが、私と母の関係は、終わっている。いまだに赦していない。